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殺りんにしても、いま連載している必殺にしても、ジャンルで言うと 「時代小説」 の一種です。だから現代物を書くよりも、調べることがたくさんあります。文字として書かれなくても、知識として知っているかいないかで、その書き方もすごく違ってきます。
例えば、普通に 「刀を抜く」 って書いても何の支障もないのですが、鯉口や ”はばき ”の知識があればもっとリアルティーが出てきます。日本刀というのは、すぐにエイヤっと抜けるわけではなく、刀に ”はばき” と呼ばれる金具がついていてそれが鞘 (正確にはその先端部分の鯉口) を噛んでるのです。だから刀を抜くときは、左手で鞘を持ち、左手の親指で ”はばき” だけを外して、それから一気に抜くのです。それを 「鯉口を切る」 とか 「鯉口をゆるめる」 と言います。ただ単に 「刀を抜く」 と書くよりも、その一連の動作を描写することで緊迫感が出たりします。
そんな小技にこだわる前に、全体を良くしろ、というお言葉が聞こえてきそうですが、書き散らかした駄文は駄文なりに、苦労していると言いたかったわけで・・(^^;
昨日のお話関連で・・。
青い時代の小説を読み直して、これって今書き直したらどうかな? と考えました。大人になって人生経験積んで (ほんとか?) 改めて同じテーマで書いてみたら変わるんだろうかと思って。もっとも時間もないし、このサイトの分だけで今は手一杯なので無理だろうけど。
内容はともかく、読み返してみて今の時代使えない場面、結構あるなと思いました。その大元の原因は、そう携帯とメールの日常定着化。それがいい、悪いではなく。
私の時はようやくポケベルが主流となってきた頃ですが、それでも私の周りではまだまだ少数派でした。電話も固定電話が殆どで、親の目を (耳を) 気にしながら長電話、という感じでした。男の子の方でも、彼女の家に電話するとき、”親父が出たらどうしよう・・” とドキドキしながらかけてたんじゃないかな?今はもう、そういう検閲はすべてスルーで、相手にダイレクトに掛かりますからね。そして逢えなくても、メールという手段があるので、いつでも連絡がとれます。電話と違って相手が仕事中でも、入浴中でもさほど影響ないし。”逢えない時間の切なさ” というシチュの書き方が難しそうです。
あとこれはほんとに超手前味噌ですが、そのお話の中で一番気に入ってた場面が今じゃ全く使えなさそうです。恥を忍んで申しますと、主人公の元カレから、電話がかかってきます。主人公が受話器を取ると、最初に聞こえてくるのが、”ピー” という音で、相手が何か言ったようだけど聞き取れなかった。でも、彼女にはそれが元カレだとすぐにわかった、という場面です。
そう、この ”ピー” は公衆電話からかけたとき、10円玉しか入れないと鳴る音です。そこで彼女は、「公衆電話からかけるときは必ず2枚以上入れて」 とつき合ってた当時から言っていたことを思い出し、その癖が結局直らなかった彼に苦笑いしつつも、その癖だけで彼だとわかる自分に愕然とする・・・、てな場面です。(うっひゃー、恥ずかしい・・。恥のかきついでに、さらに・・) 近況報告のような会話はしてるけど、本心がなかなか言えないふたり。そこに再びあの音が。あと30秒で切れちゃうという合図。言いたいことはあるのに、言えない、でも時間がない、この電話が切れたら今度いつ彼の (彼女の) 声が聞けるかわからない・・・、てな心情を書いてあったんですね。 (超赤面です・汗)
今は今なりに、違う方法で切なさを表現できるとは思いますが、結構この場面、今読み返してみても好きだし、使えないのは残念な気がします。アナログも、味があっていいんだけどね。
いつの間にやら三千打。ありがとうございます。
また、拍手してくださった方々、ありがとうございました。
私が中・高生の頃は少女漫画一辺倒で、その頃は ”学園ラブコメ” が主流、”片思い” ”切ない” ”胸キュン” がキーワードの時代でした。で、私の書くお話も、しっかりとその路線を踏まえていて 学園青春物語でした。(笑) そのひとつに、同級生の男の子と女の子の高校時代の恋愛のお話がありました。
以前中村あゆみさんの 「翼の折れたエンジェル」 っていう歌が流行りましたよね。そのまんまの内容です。(パクったかどうかは、記憶にないけど) 歌は大好きでした。
♪シックスティーン初めてのキス、セブンティーン初めての朝、少しずつため息覚えたエイティーン♪ と、ちょっとうろ覚えですが、こんな内容。歌は、素敵ですよ。でも私が文章にすると、すっげー陳腐だし、すっげー恥ずかしい。
ところでよくこんなのが残っていたな、と別の意味で感心しちゃいました。今まで3回お引っ越ししているのですが、その度にかなりの物を処分したつもりなのに、どうしてこれらが生き残ってたんでしょう。
そこでふと思った。ああ生きててよかったあ、と。
いえ、これらに巡り会ったのを喜んでいるわけではなく、もしね、私が何らかの不慮の事故で死んじゃったとします。そうすると家族が遺品の整理をするわけですよね。当然これらも家族の目に晒されるわけです。ね、そこまで考えたらぞっとするでしょう?(笑) 死んでまで笑いモノにされるんかい! とね。
よく病気で亡くなったお子さんの遺稿集を、例えば日記や詩などを出版される親御さんがいらっしゃいますよね。でもそれは、ちゃんと読める代物であり、読む方も感動できるものだからいいんです。でも私の場合、ま、あの内容じゃ絶対親もそんなこと考えんだろうけど、娘亡くしたショックで一時的に茫然自失になるかもしれない。で、正常な判断能力ないまま、出版しちゃうかもしれない。考えただけでも、恐ろしいことです。
あっそうだ、このパソも見られてしまうってことだ・・。10代の頃の小説より、よっぽど恥ずかしいゾ、これは・・。
でも、ま、いいか。死んじゃえば関係ないしなあ、と以前もそう思って処分せずに取って置いたのでしょうね。すごくこっ恥ずかしい作品ではあるけれど、青春時代の大事な思い出でもあるし、やっぱり捨てられないなあ・・。
今ピアスの穴って、どうやってあけてるのかわからないけど、私は自力であけましたね(^^ あっ、友人の手助けはあったけど。その頃はホチキスタイプが主流で、耳たぶを挟んでパチンとすると、自動的にピアスが装着されるというやつ。ホチキスの針と同じですね。
だけどそのホチキスタイプに装着されてるピアスがあまり好きじゃなかったので、古典的な方法、耳たぶを氷でキンキンに冷やして、縫い針であけるという、今じゃもう出来ないだろう方法であけました。恐いもの知らずでしたから、その頃は(笑)
ピアスの好みも年々変わっていき、最近はちっちゃーい宝石のついた小さなピアス、だいたいお値段にして3万前後のものをよくつけています。これは自分の誕生日に、自分でプレゼントってことで、ここ3年くらいやってるマイ・イベントです。(ええ、くださる方がいませんので・・) そろそろいい年こいてきたから、本物をつけようかな、と思いまして。
で、それまでに集めた数十個のピアスを全くつけなくなったのですが、処分するにはもったいないし、かといって取って置いても邪魔になるだけだからどうしようかと思ってたら、あっそうだ、今年高校卒業した従姉妹がいるじゃん、と思いだして、さっそく従姉妹に聞いたのです。
「ピアスの穴、あけた?」
「うーん、あけたいけど、ピアスの穴ってあけると、運命変わるって言うでしょう。どうしようかな・・?」
なんて言うもんだから、こっちがびっくりしてしまいました。
もちろん私たちのころにも、そんな ”伝説” はありましたが、いまだにそれが健在だったとは知りませんでした。その従姉妹も、ぶっ飛んでまではいないけど、いわゆる今時の娘、って感じで、まさかそんな伝説信じてるなんて思いもよらなかったなあ。
まさか今でも ”女の子が髪の毛切るのは、失恋したから” なんて伝説、これも健在なのかしら?
で、創作の方からちょっと離れて、あちこち犬夜叉サイトに遊びに行ってきました。その中で結構好きなのが、”ドリーム小説” と言われるところ。これは、私がやっている同人のサイトとは似て非なるものです。
これは個人の好き嫌いがありますから、私からあーだこーだとは言いませんが、簡単に言うと主人公が ”自分” になることです。普通同人と言われるところは、作中の登場人物のCPのお話が中心ですが、ドリームは、例えれば ”兄上×ににぎ” (あくまでも、例えですからね!でも、実際書いてみると嬉しいやら、こっ恥ずかしいやら・・) ということです。興味があれば、ネット検索してみてください。
それで、あるサイトさまにお邪魔したのですが、もう兄上素敵すぎ。ふーん、兄上ってこういう顔するんだ・・、あっこういう仕草もありかも・・(って、どの場面だ?) などと、殺りんとは別に妄想してきました。(オイオイ・・)
私自身ドリームは好きですが、書くとなると自分が主人公でそのお相手が兄上だなんて、きっと書く以前に舞い上がっちゃいそうですので無理です。読んでひとり悦に入ってるのが、楽しゅうございます(^^;
手を替え品を替え、あれこれ妄想のネタになる兄上。やはりあの美しさがそうさせるのでしょうか。罪なお方でございます。