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取り急ぎお知らせとお願いでした。
誰が?って、神谷さんです(笑)。
ところで。
東京大学・大学院教授の姜尚中さん。最近よくテレビでお見かけする(暮れの紅白にも出てらっしゃいましたよね)ほかにも、「悩む力」 という著書が話題になっている方。
私が初めて姜さんを知ったのはNHKの歴史番組。ゲストとして招かれていた姜さんが落ち着いた低音で、複雑な歴史的背景をゆっくりとわかりやすく語られる解説にどうしてだか 「ああすごい、この人」 と唐突に思ったものでした。続けて他日、別番組でもお見受けしたのですが、他のゲストの方々が早口だったり話があっちこっちに飛んだりする中、姜さんの落ち着いた口調、わかりやすく丁寧な話しぶりは変わりありませんでした。それでふと思い出したのが、作家・井上ひさしさんがおっしゃたこと。
以前にも書いたことがあるのですが 『難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に書く』 という言葉。ある意味抽象的なこの言葉がどういうことなのかを、姜さんは話し言葉という形で示してくれたようでした。
言葉や文字というのは相手に伝わってこそのもの。時々、まるで読者を試してるのか或いは書き手の自己陶酔なのか、小難しい言い回しや難解な熟語、難読な漢字を多用した文章をみかけます。やさしく書かれた文章に比べ、つい 「格が上」 と勘違いしてしまったり、そういう文章を理解できない自分を情けないと思っちゃたりしますが、いやいやそれは書き手(話し手)の方が悪いんです。と、私は思うけど。
だからといって単にやさしい(平坦な)文章がいいのかというとそうでもなく、多分それが上記の井上さんの言葉になるんだろうなとも思います。日々精進……(笑)。
レスです。
(その時の状況にもよりますが) 普通は広い場所に近い方の車が先にそちらで待機してくれるものですが、毎朝7時50分にすれ違う白のHON○Aのねーちゃん! このねーちゃんが絶対道を譲らない。かといってこちらも待避する場所もなく、そんな細い道でバックもできないので、仕方なく道端ギリギリに車体を移動させるのですが、そのねーちゃんたらこちらが移動したのを幸いとばかり、自分は澄ましたお顔で脇を通り過ぎていく。しかも挨拶なしに!
そんなことが何回か続いた後、万が一接触でもしたら面倒なので、そのねーちゃんの車が来たとわかると先に私の方で待機するようになったのですが……。
でも何でいつも私ばかりが待機しなくちゃいけないんだ、と思ったらやっぱり面白くない(笑)。こうなったらねーちゃんの方が絶対道を譲らざるを得ない状況を作るしかないと考え、とうとう昨日の朝、そのチャンスが訪れました。
向こうからねーちゃんの車が来るのと広い場所がねーちゃん側の近くにあることを確認すると、その場所まで一気に距離をつめました。へへんどうだい、こうなったらどうしたってねーちゃんの方が道を譲るしかなかろうと内心うっきうきv 果たして思惑通りに。もっちろん澄ましたお顔で脇を通り抜けましたとも。←おとな気ないです(笑)。
ようやくこれで1勝。バトルはこれからも続きます。ルートを変えようとかなんて全っ然考えていません(笑)。
拍手御礼です。
ひとつは某殺りんサイトさん。正確に言えばキリ番ではなくニアピンなのですが、私がえらくしょんぼりしているのを見かねた心優しい管理人さんがニアピンでリクエストに応えてくださることに。(い、一応言ってみるものですね/笑) さっそくリクエストお願いしちゃった(喜)。
もうひとつは別ジャンルですが、こちらは正真正銘のキリ番。こちらの管理人さんも快くお引き受け下さって、リクエストはまだ考え中なのですが、何を書いていただこうかなと、この2,3日浮かれています。
こんなお話が読みたいという願望が、大好きなもの書きさんの文章に生まれ変わるなんて、ああ何て幸せなんでしょう……
「書く」 という作業は感受性を育てるのに大変有効な作業のひとつだと、以前とある学者先生の著書を読んだことがあります。そしてそれの一番簡単な方法が、日記を書くことだそうです。
日記というのは、当に日々の記録なのですが、平凡に生きている一般人に (恋愛中なら別でしょうが;;) そうそう毎日劇的なことがあるわけでもなく、逆に毎日が同じ事の繰り返し。でもだからこそ、そういう日々の中から何かを拾い上げる、それこそが感受性が育てることになる、という内容でした。
加えて時間の経過とともに記憶は曖昧になっていくもので、ものすごく感動したことがあってもそれは時とともにだんだん薄れていくものらしいです。もちろん完全に記憶からなくなるというわけではないけれど、例えば何もしないでただ心にとどめておいた場合の感動レベルが1だとすると、「書く」 という作業で記録に残した場合のレベルは3とも4とも、或いは無限大になるそうです。
そう言われれば小学生のとき漢字って書いて覚えたよなあ~。書き取り帳っていうノートに何回も何回も書いて。平安貴族や戦国武将の名前も書いて覚えたような。彩雲国物語を読み始めたときも、登場人物の名前と相関図を書いた(笑)。こういうのは感受性とは関係ないけど、「書く」 という作業が記憶として残る一例なんでしょうね。
学者先生の著書にはもっといろいろ書かれてたはずでしたが、ほら、読みっぱなしだから記憶が曖昧で……(笑)。
というわけで、せっかくだから私も日常の小ネタを(え)記録しておこう。
昨日声フェチの後輩と食事に行ったときのお話。
レストランのメニューに 「BLサンド」 という単語をみつけ両方とも視線がそこでとまって暫し無言……。相手の目をみればお互いに (これって、あれ……?) と問いかけてる。←まさか(笑)。正解は ”ベーコンレタスサンド” でしたが (そう、そうだよね~、そんな訳ないよね~) とやはりお互いの目が語ってました。
これでも感受性って育つものでしょうか? 先生(笑)。
拍手御礼です。